晴れ時々推し

令和時代はアラサーオタクには厳しすぎる

一国一スタバ令

 カフェというのは近世ヨーロッパの文化形成に大きく貢献したと言われている。

当初はコーヒーや茶を飲む場所だったカフェがやがて互いの意見を議論をする場になった。そのような役割としてのカフェはフランス革命前後には既に生まれていたと言われる。政治・文化の発展に大きく寄与したカフェ文化。

 

 現代の日本でもカフェに行けば、楽しく歓談したり、清い男女交際をしたり、明らかに怪しい詐欺のカモになる若者がいたり、デートのノリで保険の加入へと誘う若い女性がいたりと様々な人々を見る事が出来る。

 

コメダ珈琲サンマルクカフェ、タリーズコーヒードトールコーヒー……

戦後時代の群雄割拠とも言える日本のカフェ業界だが、その中で頭一つ抜けて天下統一をしようと企むチェーン店がある。

 

スターバックスコーヒー

 

「スタバはなくても砂場はある」

と知事が言っていた鳥取県にも2015年に出店し、ついに天下統一を成し遂げた。

本能寺の変が起こらなかった世界線織田信長を想起させるこのメガチェーン店は、季節ごとに新作を出しては世間の話題を掻っ攫う。

日本に上陸したのが1996年なので、19年で日の本を制したわけだから織田信長もビックリだ。

 

 私も新作が出るたびに行っては売り切れに泣いたり、圧倒的カロリーに三十路の胃腸をやられたりと中々散々な目に遭っているが、それでも行くのをやめられない。

なぜかと言われたら正直返しに困る。

話題の商品を試してみたいというミーハー心もあるが、あえて言うなら何となく雰囲気がいいからというフワフワした答えが出てくる。

 

 カフェというのはコーヒーの味なども大切だが、それ以上に大切なのは店の雰囲気だと思う。

例えば、コメダ珈琲は席を仕切り個室感を出している。ドトールコーヒーは充電の出来る席が豊富で仕事の合間の休憩に利用してるサラリーマンが多い。

スタバの場合は開放感を意識している。基本的にスタバは天井が高く店舗が広い。

土地の価格の高い日本でこれを満たすのはかなり大変だと思う。

しかし、それをする事で店の雰囲気、プレミアム感を出している。

 

それが「スタバに行く」という若い子たちの言葉に繋がっている。

「カフェに行く」ではなく「スタバに行く」だ。

スタバという1つのジャンルを築き上げているわけだ。

 

政治、経済、スポーツ、芸能などと並んでスタバというジャンルがある。

カフェは近世ヨーロッパの文化形成に大きく寄与したというのは上でも触れたが、現代日本の場合はスタバを利用するのは知識人だけではない。

中高生などの若い世代も大勢利用している。

TwitterInstagramTikTokなどの各種SNSを使いこなし、各自が進んで宣伝広報を行う若者たち、スタバは彼らを上手く利用し利用されていると思う。

 

スタバの新作が出た→SNSで話題になる→新作を飲み、写真を撮りSNSに投稿する→それを見た人たちが共感し、自分もスタバに行く。

 

永遠の正のループを作り上げている。

日本の経済が負のループ「スタグフレーション」に陥ってる中「スタバフレーション」を構築し我が世の春を謳歌している。

 

スタバは鳥取県にも出店し、天下布武を成したのは「スタバのブランドを不動のものにするため」ではないかと私は妄想してしまう。

企業戦略で言えば都市圏だけに出店するのも間違いではない。

しかし、スタバは全国拡大の道を突き進んだ。

カフェは文化形成の場というのは先から言っているが、楽しくお喋りが出来る場所は人間の心の拠り所になり得るとも私は思っている。

 

友だちと共通の話題で盛り上がり、楽しい時間を過ごす。

 

特に中高大学生には貴重な青春の1ページとなる時間だ。

ネットの繋がりが強くなった現代だからこそ、実際に会いおしゃべりをするのは大切だ。

 

 

 日本は今、若者が都会に集中し過疎化が進んでいる事が度々問題になっている。

原因は色々あるが、私は大きな原因の1つに「文化の共有が地方にいると難しいから」だと考えている。

 

 SNSで簡単に同世代や同じ趣味の人と繋がれる。

しかし、特別な経験は東京などの都市圏にいないと出来ない。

例えば、趣味のイベント(いわゆるリアイベ)などがそうだ。

誰かを推すという経験をされた方は分かりやすいと思うが、SNSが発達した現代でも都会と地方での「推しの情報の供給量」というのは全然違う。

むしろ、供給格差は昔より広がっていると私は感じている。

都会にいるフォロワーがリアイベの感想を言い合っている時、一緒に盛り上がれない地方にいる自分。都会に行くにもお金がかかる。バイトの出来ない年なら、旅行宿泊費を捻出するのも一苦労だ。

そんな経験をした若者が高校、大学を出たら都市圏に行く。

これは至極当然の道理だ。

誰だって同世代と顔を合わせて、一緒に楽しくお話しをしたいのはごく自然な人としての欲求である。

 

 地方格差について話題になる時、どうしても経済面の格差について議論されがちだが、こと若年代においてはこの文化面での格差が大きな問題だと私は感じている。

実を言うと私がオタクになる前はあまり分からなかった(感じていなかった)が、好きなものを推すとなると特にこの文化格差は切実な問題だと気付いた。

アラサーとなり腰痛や胃腸の劣化に悩む私だが、まだギリギリ若者の定義に入れている私がこんな感じなので昭和生まれで政治を取り仕切る方々にはより感じ難い部分だと思う。

今の若年代は「推す」という行為がごく自然に行われている。

誰かを応援する、何かを応援する。

それに本気で取り組めば取り組むほど、努力では埋めきれない物理的な距離を感じる事となる。

 

 ここで話をスタバに戻すが、スタバは日本全国に展開した。

同世代と楽しくお話し出来る場所は大切だと言ったが、地方で学校以外で話せる場はプライスレスと言える。

中高大校生で経験した「楽しい」は一生の宝物だ。

スタバが地方の文化格差まで考えていたわけではないだろうが、カフェの果たしている「文化の形成」という役割と青少年の「楽しい経験」これらがとても上手く噛み合っている。

 

どこまで狙ったものなのかは素人の私には分からないが、結果として「スタバ」というブランドは年々上がっている。

 

楽しい経験をスタバでした若者が都会に出て再びスタバに集うのもごく自然な事だ。

 

なぜ、スタバが好きなの?

と聞かれたら私はフワフワな答えしか答えられない。

 

なぜ、スタバがこんなに特別な存在になっているの?

と聞かれたら私はこんなだからじゃないかと思っている。

 

フワフワのクリームを味わいながら、フワフワとそんな事を考えた金曜日の昼下がり。

 

 

 

P,S,スタバのストロベリー&ベルベットブラウニーモカにチャレンジし無事成功しました。

豆乳&ホイップを多めにしてもらい、とても美味しかったけど圧倒的カロリーに三十路の胃腸は凄まじい深手を負いました。

これを書いてる間もずーーーーっと腹がゴロゴロ言ってます。

タピオカブームの時も思ったけど、世の中のガールは胃腸が強すぎる。

無茶振りに付き合ってくれてありがとう我が胃腸。

 

美味しかったけどグランデはボリュームありすぎた……今夜は胃腸に優しいお茶漬けよ〜

 

ソロガチ勢のハロウィン攻略

 ハロウィンという言葉を聞いて何を思い浮かべるのかは人それぞれだ。

仮装、お菓子、カボチャ、渋谷

 

 私は幼少期から特に何もなかったので、コレと言った思い出はない。

多分30代以上はハロウィン自体未だにどういうイベントなのか、しっくりこない人も多いのではないだろうか。

 

 私もいつもなら特に触れる事なく過ごしていくのだが、今年はたまたま休みになってしまった。

昨日、仕事終わりに街を歩いていると、あちこちで見かけるカボチャ、カボチャ、カボチャ。クリスマスなどと比べると影の薄いハロウィンだが、近年はもうすっかり大きなイベントとして定着した感がある。

日本のハロウィンは食産業界が国民にカボチャを食べさせようと結託しているのではないか。

 

「なんかカボチャ食いたい」

 

 私の胃の中からそんな欲求が内から湧き出てきた。食産業界の思う壺である。

 

そんな私も子どもの頃はカボチャはどちらかと言うと苦手だった。

煮物で出てくるカボチャがそんなに美味しく感じられなかったのだ。

大学生になり、ステラおばさんのクッキーでパンプキンクッキーを食べてから、スイーツとしてのカボチャの美味しさに目覚め、それからは苦手意識はなくなった。

甘味は強し。

子どもにカボチャを食わせたければ甘いおやつにして与えるといいのかもしれない。

 

 

 

 午前中、神戸の街を歩きながらフランスパンを探していた。

カボチャのシチューを作り、それならフランスパンも付けたいと思ったからである。

神戸という街はパン屋が多く、質の高いパンをあちこちで買える。

三ノ宮のDONQ(ドンク)にはフランスパンが数種類あった。

長いもの、中くらいのもの、短いもの、丸いもの

私は丸いものの見かけがかわいくて思わず買ってしまった。

帰りの電車で調べてみたところ、シャンピニオンという名前らしい。

「キノコ」という意味で見かけがキノコそっくりな事から来ている。

あまりにかわいかったので「シャンシャン」と命名し、初めて飼ったハムスターを連れ帰る小学生のように優しくシャンシャンを家に持って帰った。

 

大きさ比較のために推しのグッズを並べたが、そもそも推しのグッズの大きさが分からないので伝わりにくくなっている。結果推しを見せびらかすだけとなった。まぁええか。

 

 

ウチに帰り、スーパーで買ったカボチャを切ったが、固い固い。

レンジで少し温めてもそれでも固い。

私の包丁がオモチャより少しマシというレベルなのもあるが、それを差し引いてもまぁ固い。

四苦八苦の末に切ることは出来たが、人差し指を皮一枚分くらい切ってしまった。

皮一枚分でも平和ボケした平成原人には致命傷だ。

洗い物をするたびに染みる痛みに私のハロウィンもいよいよここまでかと覚悟したが、押入れにあった絆創膏を貼ったら割と問題なかった。

無敵状態になった私はカボチャとソーセージを切り終えた。

材料さえ切れば後は電子レンジ様が温めてくれる。

今回作ったレシピは電子レンジで温めるだけで作れるという素晴らしいもので、そうでなければ私は作ろうとしなかっただろう。

ハロウィンとレシピの作者とカボチャとシャンシャンに谢谢 

 

 

パンプキンシチューとスイートパンプキン。そして切られたシャンシャン

 

 

今回お世話になったレシピ。

レンジだけで作れるというのは、とても便利でありがたい。

 

 

 

P,S,シチューを食べている途中で「米食いてえ〜」となってしまい、明日のお弁当用のご飯に塩かけて食べてしまった。私は多分フランスでは生きられない。米万歳、もしくはハッピーハロウィン。

海と坂と独身アラサーオタク

 休み明けの月曜日、この時間帯なら人は少ないだろうと思っていた。

そう考えた私は読みが甘かった。

 

インスタ映え

 

巷ではそう呼ばれる場所の多くは若い男女で賑わい、彼らをターゲットとした店も繁盛している。私も写真撮影が趣味なので、いい風景写真を撮ろうと思うと必然的に彼らと重なる事が多い。

今回、私が訪れたのは「きらきら坂」と呼ばれる赤穂市にある観光名所だ。

赤穂市と言えば「赤穂浪士」「塩の街」として有名だ。

私も赤穂城や街の歴史を学びたいと前々から思ってはいたが、交通の便がやや不自由(JR姫路駅から30分で本数が少ない)な上、そもそも姫路の方が国宝姫路城の存在もあり、わざわざ赤穂まで行くなら姫路でいいやと思ってしまい、これまで足を伸ばす事はなかった。

しかし、ネットの紹介記事にあった「きらきら坂」は文字通りきらきらしてるように見え、是非とも晴れた日にこの風景を撮りたいと思い、私の足(乗ってる電車)は姫路城を通り過ぎ赤穂市へと向わせたのだった。

 

そうして訪れた「きらきら坂」は綺麗で素敵な場所だった。

 

 

 

 

 



 

 

 

 

伊和都比売神社(いわつひめじんじゃ)から海へ向かう道がきらきら坂の区間となっている。

伊和都比売神社は縁結び、航海安全、大漁祈願などの御利益が有名な神社で私が通った際も神社に用があるらしきご年配の方々を見かけた。

私は勝手な想像で大きな通りがあり、店々がたくさん並んでいるものと思っていたので、100mもないくらいの小道に少し拍子抜けしてしまった。

そして、平日の午前にも関わらず多くの若者が訪れていた。

人気テーマパークのようにミシミシになるほどではないが、写真撮影するには構図に工夫が必要なくらいには混んでいた。

おそらく土日祝ならば、もっと混むのだろう。

それまでの赤穂の街や神社を見た後だと、一体どこから現れたのだというくらい不自然な混み具合だ。

 

私の見たネット記事では穴場スポットと書かれていたが、多分ネットで紹介されてインスタでアップされる頃には穴場では無くなるのだろう。

 

私はこの風景と共にもう一つ目的があった。

上の写真にも少し写っているカフェ「海と坂と」でいちごパフェを食べることだった。

アラサー独身オタク、しかしながら甘いものには目がない私は完全に胃袋をいちごパフェ仕様にしていた。

 

 

行けませんでした

 

 

非常に情けない話だが、ここを訪れる人々はみんな友人・恋人同士で来ている。

そんな彼らがオープンと共に店に入っていく中に1匹で割り込めるほど私は獅子ではなかった。獅子の群れに放り込まれた迷える子羊のごとく、この狭い界隈をウロウロウロウロし、きらきら輝く彼らがカフェに入り、空いた瞬間に撮ったのが上の写真である。

 

店がいくつもあればまだよかったのだろうが私のリサーチ不足もあり、「海と坂と」以外の店を見つけられなかった。

結論から言えば、目的の写真は撮れたのでそれで満足すればいいのだが、パフェにありつけなかった私は他に何かないかと再びきらきら坂を徘徊し、とあるものを見つけた。

 

 

これはきらきら坂の上近く、神社から海へ降る階段の最初にある古民家だが、私は最初「賞状か許可証でも落ちているのか」と思い、近づいた。

 

 

 

閉店のお知らせだった。

なぜ古民家の横に置かれていたのかは分からない。

契約期間満了で閉店という事は売り上げが当初の予定よりは低かったのだろうか。

2020年開店という事はちょうどコロナの流行と重なる。

店を開く構想段階では当然コロナの事など予期してなかっただろう。

きらきら坂に訪れる若者をターゲットに古着を売る。

とてもいいアイデアだが、商売を続けるというのは難しいものだ。

私もオタク時代以前の社畜時代は「自分の店を開きたいな〜」などと夢想していたが、世の中の厳しさを少し見せられた気がした。

 

 

この写真はきらきら坂を降ったところにある休憩所?みたいなところだが、かつてはどのような店があったのだろう。ここは昔はどんな場所だったのだろう。

きらきら坂がどうして出来たのか、ネットや赤穂市の施設で調べても分からなかった。

伊和都比売神社は航海安全のために帝国海軍の東郷平八郎も訪れたそうだが、今は若者が写真を撮るためにやって来る。

 

 

上の休憩所の椅子に腰掛け海を見ると、大石内蔵助名残の松というものを見る事ができる。

しばらく私は椅子に腰掛け過ごしていたが、特に誰もこれに気にかける様子はなかった。

目的はきらきら坂なのだから当然と言えば当然かもしれないが、ほんの少しだけ寂しい気もした。通りかかった中年夫婦がこれを見て赤穂浪士について話しているのを見た時、嬉しさと共に赤穂浪士で若者を呼ぶ事は出来ないだろうなとも感じた。

 

実際こうやってあれこれ偉そうに言っている私も冒頭に書いたように「きらきら坂」が無ければ、きっと来なかっただろう。

この後に書いていくが、赤穂市には「赤穂浪士」「塩の歴史」といった面白い見どころもある。

しかし、それらは「映えない」

経験や知識として人生を潤し豊かにしてくれるが、それは心の内に留めがちで外に出すのは難しい。

私がこうやってブログという形で表現しているのも「きらきら坂は綺麗で素敵な場所でした」

これは本当に事実その通りなのだが、と同時に「素敵な場所で商売の難しさの一端を知った」「赤穂市は面白い歴史がある」という事を表現するにはInstagramTwitterでは言葉が足りなさ過ぎるし、心のブレを伝えきれないと感じたからだ。

 

いちごパフェを食べられなかった無念がねじれにねじれて、このようになってしまった。

多分、素直にいちごパフェを食べる事ができていたなら、きらきら坂の写真の後、いちごパフェの写真をアップして記事を終わらせていた気がする笑

 

いちごパフェ分をどこかで取り返そうとした結果、この後私は歴史博物館に寄り、赤穂市の歴史の勉強をする事となる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  私はレンタルサイクルを漕ぎ、赤穂の街を走っていた。

レンタルサイクルの店主は私を見て「にいちゃん、服赤いからチャリ赤いの貸すね」と言って赤い自転車を貸してくれた。私が中学高校時代、赤い自転車に「赤兎馬」と名付けて走り回っていた黒歴史を思い出させてくれた事に感謝をしつつ、目的地へと向かっていた。

 

目的地は歴史博物館

 

きらきら坂できらきらに無事敗北潰走し、その無念を赤穂市の歴史を学ぶ事で自己正当化に繋げようと躍起だった私は秋風を頬に感じつつ、駅で配っていた観光マップを片手に目的地にたどり着いた。

 

歴史博物館の中は人がほとんどいなかった。観光で来たらしき御年配の夫婦が1組いるだけだった。先のきらきら坂の賑わいを見た後だと余計に寂しさを感じる。

 

館内は写真撮影は禁止だった。

ここでしか見れない貴重な資料などが展示されてので、撮影禁止それ自体に文句は全くないのだが、きらきら坂に訪れていた若者を1人も見かけないのは、写真が撮れずSNSで共有する事が出来ないからというのも原因の1つの気がする。

最近では写真撮影OKの美術館も増えてきている。

著作権等の絡みもあるので難しい話だが、若者を呼び込む導線としてインスタなどのSNSが強いのは先のきらきら坂が証明している。

歴史博物館はとても面白い施設なので少しもったいない気もした。

もっと多くの人が訪れて、その面白さに触れてほしい。

 

 

閑話休題

歴史博物館では赤穂市を「塩」「赤穂浪士」の2点を中心に学ぶことができる。

赤穂という街の歴史はそもそも成り立ちからして塩と深い関わりがある。

人は塩を摂らないと生きられない。

赤穂で取れた塩は京都大阪で珍重され、赤穂浪士で有名な浅野氏が繁栄したのも塩による利益あってこそだった。

浅野内匠頭吉良上野介義央に切り掛かった理由は諸説あるが、どれも密接に塩と関わっている。

面白い説では、吉良の領地である三河も塩の産地だった。赤穂の製塩技術の急速な発展により人気を取られた吉良は「塩の作り方を教えてほしい」と頼むも「門外不出」として断られ、結果として吉良は内匠頭に悪感情を持つようになったという説もある。

どの説にしろ塩が赤穂浅野家五万三千石を作り上げ、そして崩壊させた理由となっている。

 

歴史博物館ではこの事件についてはあまり触れていない。

公式の資料館なので原因不明の事件に世間一般以上に掘り下げるわけにはいかないのだろう。

 

また、ここで注目して欲しい点が先の2つ以外にもう1つある。

赤穂は江戸、福山(広島)と並ぶ日本三代上水道として知られている。

赤穂という土地は海が近く、井戸を掘っても海水が湧き、川も海水と入り混じっているため、街として繁栄していくためには、上流から生活用水をひいてくる必要があった。

 

赤穂の上水道設備は1616年、当時領地を支配していた池田家(姫路を支配した池田輝政の一族)の命を受けた垂水半左衛門勝重が指揮を取り、3か年かけて作り上げた。

赤穂市公式サイトに旧赤穂上水道マップがあり、その史跡を辿る事ができる。

赤穂観光サイトより引用

 

 この上水道は城下町の家々にまで行き渡り、屋敷内の汲出枡から水を汲み上げる事が出来る様になっている。この上水道は1944年に近代上水道が敷設されるまで使われていた。

赤穂城の門前にある説明

 

赤穂の街は塩のにより繁栄し同時に塩に悩まされ、そして努力の結果、更なる発展を遂げたと言える。

 

 

 

私も今こうしてブログを書いていく中で公式サイトなどを調べながら書いているのだが、めっちゃ面白い。赤穂市の観光サイトには分かりやすくかわいい地図も載ってるし、見てるだけで行きたくなってくる。

なんで行く前にちゃんと調べておかなかったんですかねぇ……

多分私は赤穂の魅力の3割も体験出来てないみたいなので、次に行くときはきちんと観光マップをダウンロードしてから行く予定だ。

あと赤い服は着ない。また赤い服で行ったらレンタルサイクルの店主に顔を覚えられそう。

 

 

 

P,S,ちなみにパフェは食べました。

いちごパフェではなくプリンパフェですが、美味しくてパクパクですわ〜でした。

パクパクですわ〜

 

 

 

大阪駅で150円のウンチをしようとした話

ウンチ難民

 

私は駅のトイレで列を作って大便を我慢している人たちをこう呼ぶ

 

人間の身体の作りの関係上、起きてから1時間くらいしてウンチに行きたくなるのはごく自然な事だ。

問題は夜中に精製・貯蓄したウンチの排出タイミングがちょうど出勤時と重なる事である。

 

駅のトイレというのは駅にもよるが大便器の数は1ヶ所あたり3個くらいだ。

 

当然混む。

 

さて、私は朝の7時半、大阪駅でウンチがしたかった。

 

当然混んでいる。

 

 

しかし、私は知っていた。

大阪駅で朝の時間帯でも空いているトイレを。

だが問題があった。

私はJR京都線から大阪環状線を使って目的地に行く予定だった。

つまりはウンチをするために改札を出なければいけなかった。

そのトイレは改札の外にあるからだ。

一度出ると再入場をして余分にお金がかかる。

 

150

 

コンビニのおにぎり1個分の値段である。これは大金だ。

 

ちなみにその事実に気付いたのはトイレで気張っている最中だった。

ウンチをしたい時は頭がウンチでいっぱいになり思考力が低下している。

ウンチで大半を占められていた脳みそにウンチが出た分だけ思考が入る余裕が出来たのだ。

 

ウンチを65%ほど出力してる最中にお金が余分にかかる事を思い出した私は慌てて、どうすれば150円分を取り返すことが出来るか35%の余白で算盤を叩いた。

 

 

 

『『『『『150円分の価値があるウンチをすればいい!!!!!』』』』』

 

 

 

脳内会議で出された結論はこれだった。

 

私はそこからどうすればウンチに150円分の価値がつけられるか考えた。

既に75%は出力されている。

残りの25%で逆転満塁ホームランを打たなければならない。

大谷でも困難なミッションを達成しなければいけない。

 

 

150円の運賃のために。

 

 

しかし無情にもウンチはポトンと音を立てて流れていってしまった。

当たり前と言えば当たり前である。

ウンチはウンチだ。

ただ尻から出て下水へと流れていく。

いつか土に還り栄養となる日が来ても、その時には赤の他人(他糞)である。

江戸時代のように貯蓄して売りでもしない限りは金にならない。

 

仕方がないとはいえどこかで150円分の節約をしなければならない。

安月給のオタクは日々節約して、推しへの投資資金を貯めねばならないからだ。

 

私はため息をつき思った。

 

「不便なものだな」

 

この話は水に流して忘れる事にしよう。ウンチと共に。

 

 

スタバで悪魔の実の能力に目覚めたかもしれない話

 本当は焼き栗ラテが飲みたかった。

私は完全に口内をモンブランにしていたのだが、無情にも「sold out」の文字がメニューには貼られていた。

仕方がないので、せめて秋感を少しでも感じようと「パンプキンスパイスラテ」というものを頼んだ。文字通り謎のスパイス感があった。それにシナモンの香りが強く、肝心要のパンプキンの在処を見つけられずにすすっていく。

 

これならば居酒屋でビールでも飲めばよかったか。

 

実を言うと迷っていた。

 

ここのところ、引っ越しの準備と仕事で忙しく息抜きらしい息抜きが出来ていなかったのだ。

ホントを言うならお気に入りの台湾料理店でビールを魯肉飯と共に堪能したかった。

しかし、明日も引っ越しの準備がある。

子ども部屋おじさんから独身貴族おにーさんにランクアップ出来るチャンスなのだ。

アルコールは控えたい。今は我慢しよう、だがせめて一息はつきたい。

その結果のパンプキンスパイスラテだった。

つまりは今すすっているパンプキンスパイスラテは妥協に妥協を重ねた結果なのだ。

 

夜も7時を回り、カップルで賑わう中、私は未だパンプキンの居場所を探している。

半分飲んでもやはりパンプキンは現れない。

私が頼んだのはシナモンラテではないのか。

一応レシートを確認してみた。レシートにはパンプキンスパイスラテと印字されている。

何故みんなコレをパンプキンとして受け入れているのか。

誰か声をあげたりはしなかったのだろうか。

ゴクリと飲み「これシナモンラテやんけ!!!」と突っ込んだ関西人はいないのか。

もしかしたら、私と同じような思いをしている人が居るかもしれないと周りを見回りしてみた。

残念な事に会話を楽しむカップルや夫婦しかいない。

完全に孤軍となってしまった。

元よりソロプレイだが。

私のアスナはまだ見つからない。

 

 

 BGMに流れるフランク・シナトラの「ニューヨーク・ニューヨーク」を聴きながら私はさらに思考を深めた。

 

 スタバというのは面白い所だと私は思っている。

個人経営の喫茶店のようにコーヒーが特別美味しいわけでも、コメダ珈琲のように食べ物がアホみたいに多いわけでもない。

微妙に高いが、客が逃げるほどではない絶妙の金額設定と私のような流行り物に弱い人間をターゲットに話題性のあるドリンクを提供してくる。

そして、私はいつもタイミングが悪く話題のドリンクを飲めず、妥協をする。

妥協に妥協を重ねる男。

ワンピースならダキョダキョの実を食って笑い声は「ダッキョッキョ」にされている。

ワンピースの世界線に生きていなくてよかった。

実はこのパンプキンスパイスラテはダキョダキョの実を使ってあるのかもしれない。

だから、ここまでパンプキンの居場所がないのだ。

スタバのドリンクのクオリティに対しての謎の人気の高さもドフラミンゴが背後にいるのなら納得もいく。

私はここまで考えてようやくパンプキンスパイスラテを頼んだという事実を受け入れる事ができた。

 

 パンプキンスパイスラテを飲み干した後もまだシナモンが喉の奥に張り付いている。

自分がダキョダキョの実の能力者に完全覚醒したのを感じたので、リュックからスケジュール帳を出して明日やるべき事を書き記した。

 

妥協の末に上手くいくこともたまにはある。

もうパンプキンスパイスラテを飲むことはないだろうが、ダキョダキョの能力に覚醒したのなら550円も安いのだと心穏やかに矛を収めることもできる。

 

ありがとう、尾田先生、ありがとう、ドフラミンゴ

 

パンプキンが全く感じられないパンプキンスパイスラテ

 

 

 

追伸

月見バーガーが食べたいと思いながら毎年食べられないのはダキョダキョの実の力だと思う。

早く食べたい。